サイバー(アメブロ)の藤田社長の日記を愛読しています。今日の内容は


「ハングリーさはストイックを超越する。最後はハングリーなヤツが勝つ。」


という内容だった。

現代社会を象徴するようなお言葉です。そりゃガツガツやるやつは大勝するでしょう。


しかしながら私は

「武士は食わねど高楊枝」

という教育を親から受けてきたわけで、”ハングリー精神”とか言われるとちょっと引いてしまうのである。


武士かどうかはどうでもいいわけだが、かつての日本では当たり前のように存在した、いわゆるノーブレス・オブリージュ(身分の高い人はそれに伴い社会に対する義務がある)ってヤツが、現代の日本社会から消えうせようとしていることに一抹の不安を感じずにはいられません。


たとえば学歴ひとつとっても、ある一定のルールに基づいて競争が行われ(多少スタート地点の違いはあっても)、その中で、頂点を極める人間と、失敗してしまう人間が出てくるわけです。

失敗した人は残念だけど、また違うレースに参戦すべきなのです

勝つまでとにかく戦い続けるのが人生なのです。

もちろん、そんな簡単に勝てるわけはありません。

でも死ぬまで戦い続ければ"負けない"わけなのです。

勝つことよりも"負けないこと"こそが大切だと思う。

もちろん、レースなわけですから、どのレースも頂点を極めた人間に対しては当然、十分に賞賛と尊敬が与えられるべきなのです。

それをやいのやいの言いだすから、余計墓穴掘って、変な大競争社会が生まれてしまった側面もあるのではあるまいか??

ルールに従って粛々と競争するべきなのであり、変な”平等教育”とやらで、ルール説明が事前に全員にしっかりとなされていないことが問題であると思うのです。そして、勝者にはしっかりとしたノーブレス・オブリージュの精神の埋め込み(教育である程度カバーできるはず)が必要と考えます。


藤田社長は

「高学歴の人間はそのプライドの高さゆえにハングリーさが足りないから、能力が高いのに負けてしまうことがある。もったいない」

という解釈をしているわけですが、頂点を極めた(すでに多くを持つ権利を得た)人間がさらにガツガツして、さらに全ての成功を手中にしようと周りを蹴散らし憤然と立ち向かっていく姿は「美しくない」と思ってしまう私は古い人間なのか。


皆がハングリーに突き進んだとき、本当に状況としてHungryの人はどうなってしまうんだろうか。